こんにちは、ミラノです。

 はじめに、今年もお疲れさまでした。
 年末に更新ラッシュを仕掛けましたが、あれぐらいの内容なら結構いける気がしてきました。やるとは言ってません。



 壮絶な年でした。いろいろありました。いろいろありすぎてうまく思い出せません。
 今年は何だったのでしょうか。

 僕の中で、ボクシングに対する見方が大きく変わったように思います。高校1年の冬、KOシーン集を眺めまくっていたあの頃、僕は恐らくその瞬間を芸術的で破壊的なものとして見惚れているだけでした。

 やがてKOまでのプロセス、相手を置き去りにする技術などを知る中で、ボクシングが好きな自分を認識し、そのまま突っ走ってきたわけですが。

 人を殴るとはどういうことでしょうか。ボクシングとケンカは違うとどんなに言い張っても、相手を傷つけることに変わりはない。

 僕は争いなんて嫌いです。人の醜い部分が見える諍いなんて嫌いです。
 なのになぜ僕は好き好んでボクシングを観ているのでしょう?時にボッコボコに顔が腫れ、ざっくりと傷が開き、血まみれになるさまを、どうして目を逸らさず観ているのでしょう?

 ボクシングはスポーツです。勝利を渇望する者同士の一騎打ちです(例外はありますが)。
 人々はボクサーを応援し、熱狂します。僕だってそうです。

 しかし散々ボクシングにまつわる話を追っていれば、その暗い側面に気づかずにはいられません。

 ボロボロになっても頑張るボクサーを観て胸打たれるのは自然な感情だと思います。
 同時に、後遺症や死の問題は切っても切れないものです。僕が人としてボクシングを観るためには、これらについて考えずにはいられません。

 「リングの上で死ねるなら本望」。「古傷は戦士の名誉」。
 そういう価値観があってもいいとは思いますし、そう言えるだけの覚悟があってボクシングに打ち込める人もいるはずです。

 ならば、外野からそれを観させてもらっている僕は、彼らが無事に生き残り、かの世界から身を引いても幸せに生きていく未来に期待しなければなりません。そのための問題提起をしなければなりません。



 ボクシングは安易な気持ちで取り組んでいいスポーツではありません。ですが同時に、僕自身はもっとたくさんの人々に、ボクシングについて親しみを持ってほしいと願っています。
 そのための4スタンス理論を用いた独自研究を行い、その成果をブログやデータベースに載せています。

 4スタンス理論自体は少々難解であり、自分の体でアウトプット出来るようになるまで時間を要するものだと思います。
 しかしより安全に、より快適にボクシングをするためのアプローチ方法の一つとして、4スタンス理論から入ってみるのは有効なのではないか。そういう信念のもと、活動しております。

 ボクシングという競技が多角的な視点から理解されることを願ってやみません。



 かくしてブログやTwitterで情報発信をする匿名のアカウントは、どれほど無力でしょうか。
 無力だと自覚したとて、果たしてそれが歩みを止めるだけの理由と成りうるでしょうか。

 ボクシングに関わることがどういうことなのか。
 僕なりの考えを、来年も述べていけたらいいなと思います。

 最後に、僕の敬愛するバンド、amazarashiの歌詞を一部引用して締めたいと思います。
 毎年恒例になる気がします。

 それでは、よいお年をお迎えください。



  境界線の向こう側で 足掻く人々 嘆く人々 目にしながら
  沈黙することを選択するならば 僕らは共犯者 人たりえたのか

  存在価値はいつだって自分の中 個々に宿る銘々の色
  胸に抱いたなら 微かに灯る火が 最後の星空と どこか似ていたんだ

  amazarashi『境界線』より